Masuk「これって湊が私たちに音声を聞かせているって事よね?」そう聞くと遼大が自分のスマホを見ながら言う。「前に湊くんに渡してあった、ペン型の通信装置からだな」そう言えば前に愛沢くるみが久遠家の屋敷に何の前触れもなく来た事があって、その時に遼大が湊に何かあった時の為に、と湊にペン型の通信装置を渡してあったのを思い出した。『あぁ、その件か』湊の声がそう言う。湊の息遣いまで聞こえて来そうな程、高性能のマイクが音声を拾っている。『ついさっき、ERで起きた騒ぎを知っているだろう? あれを収めなければならない。主犯の男は警察に引き渡すとしても、原因の究明はしないといけないからな』湊が努めて冷静にそう言うのが聞こえる。『だから今は、悪いが空いている時間が無いんだよ』そう言われた愛沢くるみは何と返すんだろうか、そう思っていると、愛沢くるみの声が聞こえて来る。『でも私の方もそんなに時間の猶予は無いの』まぁ、愛沢くるみからしたら、波多野優斗を人質に取られている状況で、お金を渡さないと警察に行くとまで言われているのだから、確かに時間の猶予は無い気がしているだろう。愛沢くるみを脅している新田豊は波多野優斗と一緒に今、聖カトリーナに居て、治療を受けているだなんて思いもしないだろう。いや、新田豊が搬送された事を分かっているのだから、愛沢くるみが冷静なら、湊に会いに来るのでは無く、まさしく新田豊が何故、搬送されたのかを調べるべきだったのだ。(お金が欲しいの? それとも自由?)今の愛沢くるみの状況は思わしくは無い。森崎家の当主であり、遼大の実父である森崎健太郎はおそらく愛沢くるみに資金を渡していない。今までは森崎家夫人である望美さんを味方に付けていたから、森崎家の財産をある程度は動かせただろうけれど、今はそうじゃないだろう。そうだとしたら今の愛沢くるみの資金の出どころは、自分自身という事になる。今まで自分の身で稼いで来た資金がどこまで愛沢くるみに残っているかは分からないけれど、あの愛沢くるみの事だ、それ程、多くは無いだろう。パトロンだった千堂彰を失い、レーザー治療のせいでサロン・ド・オーキッドへ行く事も出来ず、八方塞がりの状況の中、やはり縋ったのは湊だった。(それはそうよね、厚顔無恥にも私にお金の無心をしに来たくらいだもの)大きな溜息が聞こえて来る。湊がついた溜息だ
私は一瞬、あっけに取られていたけれど、すぐに背を伸ばし、言う。「あの、違うの……湊さん、最近、全然会ってくれなくなっちゃって……それで、少しでも湊さんを感じたくて……」目の前のPCは無情にもパスワードが違いますというメッセージの入った画面のままだ。これを見られたら私が湊のPCを無断で覗こうとしたことがバレてしまう。静かにそっとPCに手を伸ばし、モニターの電源を切る。湊は私を見て、冷たい視線を送って来る。(本当にどうしちゃったと言うのよ)それまでの湊なら私が湊に許可を得ず、勝手にオフィスに入って来ても、笑顔で迎えてくれたのに。「前にも言った筈だ。ここはくるみ、君が好き勝手に歩いて良い場所じゃないと」湊が冷たくそう言い放つ。確かに以前、湊には聖カトリーナを好き勝手に歩くなと言われた。もう好き勝手歩ける場所じゃないと、そう言われたのだ。「ごめんなさい……」しおらしくそう言い、私は椅子から立ち上がる。湊は入り口で仁王立ちになり、腕を組んでいる。「それで? どうしてここへ?」そう聞かれて私は湊を上目遣いで見て言う。「会議に行かなくちゃいけないって言われて、それで、少しでも湊さんの事を知りたくて……だって最近、湊さん、全然会ってくれないから……」そう言うと湊は表情一つ変えずに言う。「忙しいんだと言った筈だ。俺は聖カトリーナの理事で、脳外の専門医で、抱えている患者だって多いんだ」そう言われてしまうと反論の余地が無い。だって私は医者の仕事なんてこれっぽっちも分からないのだから。◇◇◇目の前の愛沢くるみを観察する。どうすべきか、さっきの現場に居た事を確認するべきか?それとも何も知らない素振りでこの場に留め置くべきか。愛沢くるみのその手が静かに動いた。PCのモニターの電源を切ったようだ。つまり、俺のPCを覗こうとしていた、という事だろう。パスワードの変更をしておいて良かった。万が一にも、PCを覗かれる事の無いように、パスワードの変更は実は随分前にしてあった。以前の俺なら愛沢くるみが勝手に俺のオフィスに入って来ても、気にも留めなかっただろう。むしろ俺に会いに来てくれた事を嬉しく感じていたのだ。その当時はPCなど覗かれても愛沢くるみは内容を理解は出来なかっただろうし、そんな事しか院内のPCには入っていなかったが。今は違う。今はそのPCで加
混乱の最中、俺は確実に見た。燈が背を押し出され、前に飛び出したその時、燈を押したその手の主を。愛沢くるみだった。愛沢くるみがその場にいたのは偶然だろう。俺に会いに来ていたのだから、その後、院内を歩いていても何の不思議も無い。おそらくは俺に話を聞いてもらえなかった事で、俺の周囲を探ろうとでもしていたのだろう。もしかしたら俺の個人オフィスに入り込もうとしていたのかもしれない。押された燈を庇ったのは高嶺さんだった。俺も手を伸ばそうとしたけれど、目の前の看護師が俺の方へ押し出されたのを見て、思わずその看護師を受け止めたのだ。俺の隣で警備員が刃物を持った新見悟を捕らえようと動き出していた。全てがあっという間の出来事だった。燈に縫合の処置を受けている高嶺さんを見て、俺は安堵した。燈が自ら縫合するなら大丈夫だ。俺は目の前の新見悟を見下ろし、嫌悪した。そしてこうも思ったのだ。俺ももしかしたら、こうなっていたのかもしれない、と。五年前、俺は確実に燈を嫌悪していた。それは愛沢くるみによる印象操作だったとしても、だ。「警察に引き渡せ」俺はそう言い捨てて、高嶺さんの元へ行く。「大丈夫ですか?」そう聞くと高嶺さんはその腕に燈を抱き寄せながら微笑む。「あぁ、問題無い」燈は高嶺さんの胸に顔を埋めて泣いているようだった。その様子を見て俺は微笑み、そしてその場のカーテンを引き、二人を周囲から隔絶する。俺は俺でやれる事をやる。今回のレベル4の騒ぎを納めなければならないのと。愛沢くるみを追わなければ。◇◇◇「レベル4!?」俺はそれを聞いて、思わず大きな声が出てしまった。「それで、高嶺さんと佐伯顧問は?」俺がそう聞くと高嶺さんの部下が言う。「総帥が怪我を」そう言われて俺はその場にいた全員に言う。「悪いが、外す」そう言ってEMSOの分析室を出る。佐伯顧問が分析してくれていたレプリトールディザスターの構造式を皆に説明していたところだったのだ。この分析結果を元に、レプリトールディザスターの中和を進めるつもりだった。「賀神さん!」声を掛けられ、振り向くと真壁早妃が走って来る。「高嶺さんは?」そう聞かれて俺は言う。「それを今から確認しに行く」真壁早妃もその顔に焦りを見せている。おそらくは高嶺が怪我をしたと耳にしたんだろう。「君も高嶺の様子が気にな
次の瞬間はまるでスローモーションのように流れて行った。背中を押された私は倒れ込むように前に倒れて行く。そんな私に腕を差し出し、私を包み込むように抱きくるむ遼大、私たちが倒れ込んで来た驚きで看護師を離す新見医師、新見医師はそのまま握っていたメスを振り回し、そのメスが私たちに向けられている。離された看護師を受け止める湊、警備員が新見医師のメスを握っている腕を掴もうと手を伸ばしている。私は遼大に抱きくるまれ、遼大の逞しい胸板にぶつかる。カランと響く音、音の正体は落ちたメスだった。「遼大……」私は遼大を見上げる。遼大は微笑んで私を見ている。「怪我は無いか?」そう聞かれて私は言う。「えぇ、大丈夫……」そう言った私の視界に血が見えた。良く見れば遼大の腕が切れている。急いで出て来たせいで、遼大はスーツ姿では無く、シャツ一枚という軽装。だからなのか、遼大の腕が切れている。「遼大、あなた……」私はそう言って遼大の腕を見る。「離せ! 離せ!」新見医師が警備員に取り押さえられ、床に押し付けられている。「俺は大丈夫だよ」遼大はそう言うけれど、私は次の瞬間には頭に血が上ってしまった。床に押さえつけられている新見医師にツカツカと近付き、その顔を蹴りつける。私の蹴りが新見医師の鼻にヒットする。私は新見医師を見下ろして言う。「これで我慢してあげるんだから、感謝なさい」そう言って遼大の元へ駆け寄り、その場にいた看護師に指示を出す。「縫合キットを持って来て! 早く!」私が怒鳴るようにそう言った事で、ボーっとしていた看護師がハッとして駆け出して行く。そんな私を遼大が見て、思わずプッと吹き出す。「佐伯燈に蹴られた!! 見ただろう? これは加重暴行だ!」そう叫んでいる新見悟は鼻から血を流している。私が鼻を蹴飛ばした事で、鼻血が出たようだった。「黙れ、貴様が言うセリフじゃないだろう」湊が新見悟を見下ろしてそう言う。縫合キットが手元に届き、私は遼大を座らせて、局所麻酔を打ち、切れた個所を縫合する。その間、ずっと遼大は私を見ながらニヤニヤと笑っている。私は縫合しながら遼大に聞く。「何?」そう聞くと遼大は笑いながら言う。「燈がキレるとああなるんだなと思って」私は縫合しながら言う。「うるさいわね、言葉を慎まないと、跡残すわよ?」私がそう言うと遼大が笑う。
聖カトリーナの救急医療棟で大きな声が響いていた。私は湊の個人オフィスへ潜り込む為にそこを通ったのだけれど。奇妙な光景。人だかりが出来ている。周囲を包む異様な雰囲気。びしょ濡れになっている私に誰も気付かない程には、周囲が混乱しているのが分かる。人だかりの真ん中がチラチラ見える。どうやら一人の男性が暴れているのか、大声を出している。「佐伯燈を連れて来い!!」その言葉を聞き、私は足を止める。(佐伯燈……?)そう思って人ごみの中に入って行く。一人の男性が看護師を人質に取るような形で、小さなナイフのようなものを周囲に向けている。「新見先生、止めてください」周囲を取り囲んでいた中の看護師らしき人がそう言う。「新見先生、落ち着いて!」そう声を掛けているスタッフらしき人も居る。(佐伯燈を要求して、何をしようと言うの?)(これは一体、どういう状況なの?)(先生と呼ばれているって事は、聖カトリーナの医師なのよね?)人ごみの中から中心にいる男性を見る。既にその目が常軌を逸していた。(あぁ、こういう人、見た事あるわ)サロン・ド・オーキッドで何回か、こんな事態を見た事がある私にとっては、何も珍しい光景じゃない。けれどその中心に居る人物が佐伯燈を要求しているとなれば、話は別だ。(佐伯燈は一体、何をしたのよ)そう思いながら私はニヤニヤが止まらなかった。◇◇◇聖カトリーナの裏口に到着した時、湊も一緒に到着したようだった。「湊くん!」遼大がそう言って湊に声を掛ける。「高嶺さん、燈」湊はそう言いながら私たちに合流する。「久遠理事!」そう言いながら警備員の格好をした人物が駆け寄って来る。「状況は?」歩きながら湊がそう聞く。「あまり思わしくはないですね」警備員の人がそう言う。「場所は?」遼大がそう聞くと警備員の人が言う。「ERの入っている医療棟です」◇◇◇医療棟に入ると、物々しい空気が漂っていた。人だかりがある。「燈は俺の後ろに」遼大がそう言う。「通してくれ」湊が少し大きな声でそう言うと、人だかりが割れて、中央に道が出来る。そこを通って、中心部まで行くと、目の前の女性看護師を人質に取るような形で新見医師がこちらに刃物を向けていた。「新見悟!」湊がそう声を掛ける。新見医師は私たちを視認すると、少し笑う。「来たな、佐伯
「とにかく聖カトリーナに向かおう」遼大にそう言われて私は急いで着替えを済ませ、濡れた髪をまとめて、ホテルの部屋を遼大と共に飛び出した。車に乗り込もうとした時、湊から連絡が入る。~新見医師がどうやら、人質をとって、燈を連れて来いと要求しているらしい~そのメッセージを読んでもどういう事なのか、全く分からない。新見医師が私を連れて来いと要求している?遼大の顔を見る。「どういう事なの?」そう聞いても遼大にだって分かる訳は無いのだけれど。スマホが鳴る。湊からだ。「もしもし」そう言うと電話の向こうで湊が言う。『あ、燈か? 高嶺さんも一緒だな?』そう聞かれて私は頷く。「えぇ、一緒に居るわ」湊が聞く。『一体、これはどういう事なんだ?』そう聞かれて遼大が言う。「山村奈津美に会って来た。山村奈津美は新見悟と愛人関係だったそうだ。七年前のカルテの改ざんの事も、新見悟に頼まれて実行したそうだ」遼大がそう言うと、湊が電話の向こうで押し黙る。きっと物事を頭の中で整理しているんだろうと思った。『愛沢くるみとは関わりは無いんだな?』そう聞かれて遼大が言う。「あぁ、俺たちが確認した時点では愛沢くるみとは無関係だ。 新見悟は燈の事を常々、疎ましく感じていて、あの颯太の事故の時に、燈を排除する為に便乗したんだろう」電話の向こうで大きな溜息が聞こえる。『俺は地域医療連携会議の為に聖カトリーナをさっき出たところなんだが、聖カトリーナを出た時に愛沢くるみに出くわしたんだ』そう言われて私は聞き返す。「愛沢くるみに?」遼大を見ると遼大も苦笑している。『おそらくは金の無心だったんだろう。俺は会議がある事を理由に話を聞かなかったが……』湊はそこまで言った時、私の頭の中にふと、一つの可能性が浮かび上がる。「もしかしたら愛沢くるみも聖カトリーナに居るかもしれないわね」私がそう言うと遼大が頷き、電話の向こうで湊も言う。『その可能性は大いにあるだろうな』豪雨が車の天井を叩き、大きな声で話さなければいけない程、その雨音が大きい。「とりあえず、湊くんも聖カトリーナに向かっているんだろう?」遼大がそう聞く。『えぇ、向かっています』湊のその答えを聞き、私と遼大は顔を見合わせて頷く。「こちらも聖カトリーナに向かっている。向こうで落ち合おう」電話を切った私に遼







